すくすくブログ

親の”目”という偉大なフィルターを通して2014年7月3日

幼稚園で子供たちと接していますと、自分の子供のようにみな可愛く幸せな日々を過ごさせて頂いております。このような環境におりますと、自分のこどもたちが幼かったときのことをよく思い出します。私には二人のこどもがおりまして、それぞれ現在、院生と大学生です。その院生の長男のことをお話ししましょう。彼はほんの赤ちゃんだった頃から手のかかる子でした。一時、保育園に通うことになり、私が園の門まで朝、手を引いて連れて行くのですが、どうしても門の所でしゃがみこんで動かない。地面をず~とみている。仕方がないので家に連れて帰る。そんな日が続き、結局、保育園には一日も登園せず辞めました。その後、幼稚園に入園したのですが、登園はするのですがあまりパットしない。彼の一番の楽しみは”お迎えの時間”です。自転車で迎えに行くと本当に嬉しそうな顔をしていました。きっと幼稚園が向いていないんだ、と夫婦で話し、うやむやのうちに卒園しました。このような状態のまま小学校、中学校と過ごしましたが、彼に転機が訪れたのは高校入学のときでした。人ごみが苦しいということで電車通学を避け、片道25キロの道を毎日自転車で通うようになり、雨が降ろうが、雪が降ろうが、自転車がパンクしようが、とにかく3年間自転車通学をしました。親は交通事故に遭わないか(都内の交通量は半端ないですから)かなり心配しましたが、彼にとって大きな自信になったと思います。今は心理学の研究に生涯を捧げようとしております、長々書いてまいりましたが、今回、申し上げたかったことは、園生活は集団活動ですから適応が得意な子と適応が苦手な子、運動が得意な子とあまり得手でない子、さまざま、出来ない子と出来る子がいるわけですが、あまり出来る出来ないに捕われてしまうと大切なことを見失ってしまうのではないか、と思うのです。人生は長いですし、どこにその子の長所を生かせる場があるかわかりません。園生活を送るこどもを持つ親にとって、こどもたちに一番必要なのは”親の目という偉大なフィルターを通して”こどもを”ひいき”することです。たかが幼稚園適応出来なくとも良い、運動が苦手でも良い、なにができなくとも良い、私の子が一番凄い、という思いを親が持てればこどもはやがて自分の”場”を見出してゆきます。”親の目という偉大なフィルターを通して”親がこどもを見る目は、神様が私たち人間をご覧になる目とどこか似ています。                シオン幼稚園チャプレン

▲ページの先頭へ